ペットロスカウンセラーの川崎恵です。
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テツ君のママから、百箇日を前に沸き上がる想いについてペットロス体験談を頂きました。ご紹介させて頂きます。
『恵さん、こんにちは。
いつもお世話になっております。
明日、1月7日はテツが天使になり、百か日を迎えます。 「もう、100日も経つんだ早いなぁ。 100日もテツの温もりを感じていないんだ。一緒にご飯も食べてないんだ。一緒に遊んでないんだなぁ」と、いろんなことを考えていました。
昨夜は急にテツの最期、看取ったときにテツの体を撫でてあげている時に鼓動が“コトっ”と止まった時の感触、情景が頭に浮かんでしまって…。「よく頑張ったと思う反面、苦しかったよね、辛かったよね…」と思い、苦しくなって号泣してしまいました。
この100日の間、テツが我が家の家族になった時のこと、一緒に旅行に行ったこと、テツの仕草、テツに笑わせてもらったこと、一緒に遊んだときのこと・・・など沢山のことがフラッシュバックされて辛くなります。
主人は、「テツは幸せだったんだよ。最期を迎えて今はどこも痛くないし、元気になっているんだから。テツは私達が悲しんでいたり、喧嘩していると心配そうにしていた姿を覚えてる?」と言います。
長いこと悲しんでいる私の体を主人が心配してくれるのは分かっているのですけど、やっぱり寂しくて会いたくて、涙が止まらなくなるんです・・・。 元気なうちにもっともっとしてあげたかったことが頭に浮かんで来てしまって苦しくなります。 』
テツ君ママ、百箇日を前にした率直な想いをお寄せ下さり、ありがとうございます。
私自身も愛犬ショコラを亡くし百箇日を前にした時、”あの子の姿を見ずに過ごして100日かぁ~”と思ったものです。100日という日々が果てしなく長いようにも思い、また昨日のことのようにも思え、時間の感覚が全くつかめずにいました。
ママ。今は、ご主人がどれだけ優しく気遣って下さっても、誰かが寄り添ってくれても、そこに有難さは感じるものの、それとは全く別に寂しいし、悲しいし、会いたいし、涙が溢れて止まらなくなりますね。
いいのですよ、それで。
その想いをどうにかする必要はないのです。
百箇日とは、亡くなってから100日目に行う仏事のことを言います。また、百箇日法要のことを「卒哭忌」とも言うそうです。「哭」というのは、嘆き悲しむこと。「卒」というのは、終わること。つまり、「どんなに親しい人が亡くなっても、嘆き悲しむのは百箇日で終わり」という意味だそうです。
う~ん
私個人としては、最愛の存在を失った時、100日で嘆き悲しむことに卒業することは出来ないと思うのです。
むしろ・・・
心が自然と穏やかになるまで、思いっきり嘆き、思いっきり心の叫びを感じ、思いっきり涙を流せば良いと思うのです。
人間には、回復力というものが備わっています。
10年後、最愛の子を想い、今ほど強烈に心が痛くなるかと言えば、悲しいけれどそれはないと思うのです。確実に、もっと穏やかな心で亡き子を思えるようになるでしょう。
言い換えれば、これ程までに強烈に「心が最愛の子を求める」時は、やっぱり「今」しかないのです。先日のNikukyuカフェでチェロちゃんのママは、そのことを「期間限定で感じられる亡き子への想い」と言われていましたが、まさにその通りだと思います。
テツ君ママ、恐れることなく、思いっきりテツ君への沸き上がる想いを感じていきましょう。
「テツに会いたい!」という気持ち
「テツ、どこにいるの?」という気持ち
「テツ、戻ってきて!」という気持ち
「あなたを愛している!」という気持ち
「あんなこともしたかった!こんなこともしたかった!あなたともっと生きたかった!」というそれらの気持ちは、ママの大切な想いです。
我慢なんてすることないのです。
悲しみを抑える必要なんてない。
胸の痛みも、心の叫びも、それらすべてを感じ尽くせばよいのですよ。それこそが心に優しい向き合い方だと私は思います。
またいつでもテツ君への想いを体験談に綴って下さいね。
ペットロスカウンセラー川崎恵
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